2000年10月に来日した際は、私の日本語能力がゼロ。「おはよう」も「ありがとう」も言えず、最初に覚えた(お父さんに教えられた。)言葉は、「はい」だった。会社で働き始めた私は、周りの日本人が何を言っているかがさっぱり分からなかった。分からないなりに教わった唯一の返事でフル対応した。
生産管理者:ほにゃらら、ほにゃらら?
私:はい。
生産管理者:ほにゃらら、ほにゃらら、ほにゃらら?
私:は~い。
生産管理者:ほにゃらら?
私:はい、は~い。
生産管理者:ほにゃらら、ほにゃらら、ほにゃらら、ほにゃらら、ほにゃらら(怒)!!!
私:はい~?
話すのが好きな私は、割とすぐに日本語を覚え始めた。ある程度の会話も出来て、楽しい毎日を過ごせた。差別がなかったかと問われると、あった、あった、それはも~う。でも、ない時はない。日本語で話しかけているのに、顔だけを見て(話を聞いてない。)外国語分からない(日本語ですけど。)と何ん度も言われた。
しかし、聞きたい人は、日本語がどんなに間違っても、不思議と通じるもんだね。
だから、「人は、それぞれ」という題名にした。
この話の何処が良い事かは、悪い事を除いて、全てだ。
だから、沢山の嫌な人に出会ったけど、沢山の良い人にも出会っている。
そこで、ふっと思いついた。「沢山の嫌な人に出会ったけど、沢山の良い人にも出会っている。」と言えば、ブラジルででも大して変わらなかったな~あ。
良く考えれば、ブラジルでは、「日本人」だからいじめられた事が度々あって、日本では「外国人」だからいじめられた事が度々あった。また、ブラジルでは、「日本人」だから得した事が度々あって、日本では「外国人」だから得した事が度々あった。さらに、ブラジルでは、「日本人」だからプラマイゼロで終わった事が度々あって、日本では「外国人」だからプラマイゼロで終わった事が度々あった。
国籍関係なく、人はそれぞれだ!!!
宣言するよ。
はっきり言って、嫌な人は、とことん嫌い。
そして、好きな人は、とことん好き。
それから、どうでもいい人は、とことんどうでもいい。
あっ!!!発見したかも。
ひょっとしたら、多文化共生って社会適正に近いかもね。