top of page

計画関連

日本における多文化共生社会実現計画

2022年(令和4年)1月11日

 

はじめに

 近年、日本の外国人住民の数が急増し続け、令和2年国勢調査の結果によると日本人の人口は、1億2339万9千人(総人口の97.8%)で外国人の人口は、274万7千人(2.2%)となっている。日本の外国人人口が増える一方で日本人人口が減り続いている現状である。

 日本統計2021の内容を確認すると日本人人口は、「2019年(令和元年)約1億2616万7千人」、「2018年(平成30年)約1億2644万3千人」、「2017年(平成29年)約1億2670万6千人」となっており、年間約26万人の減少傾向である事が分かる。逆に外国人人口は、「2019年(令和元年)293万3千137人」、「2018年(平成30年)273万1千93人」、「2017年(平成29年)256万1千848人」となっており、年間約18万人の増加傾向である事が見受けられる。

 再び令和2年国勢調査の結果によると都道府県において外国人の人口は、東京都(56万4千人)が最も多く、次いで愛知県(25万9千人)、大阪府(24万2千人)、神奈川県(23万1千人)、埼玉県(18万6千人)などとなっており、これらの5都府県に住む外国人人口が日本国の約半数(53.9%)を占めている。

 しかし、外国人の比率で考えた時に状況が一転し、各区市町村の外国人比率がその結果の理由を物語っている。例えば、大阪市生野区令和3年3月末日現在住民基本台帳人口・外国人人口によると総人口12万6千930人に対して2万7千460人(約21.6%)外国人人口(内、2万397人は、韓国・朝鮮)に当たる。別の例として南佐久郡川上村発行の平成27年10月川上村人口ビジョンによると平成17年から平成22年にかけて平成15年度から受け入れしている外国人実習生の影響で人口が増加傾向にあった。平成27年現在の日本人人口が約4千人ですが、年間700人~800人の外国人実習生を受け入れている為、外国人の比率が約19%に相当する。もう一つの例として小泉町ホームページ内の令和3年3月31日付で公開されている令和3年外国人人口表によると総人口4万1千770人に対して7千918人(約18.96%)外国人人口(内、4千595人は、ブラジル)に当たる。こうして、各区市町村に住む外国人は、その区市町村の自情に合わせて構成されており、人数と比率で大きな違いの要因となっている。

 

 また、外国人に直接的に関係する、効力が法律同等で題名の末尾が「法」ではあるけれど「法律」ではない政令、出入国管理及び難民認定法が上記の背景の主な要因と言えよう。

 出入国管理及び難民認定法は、1951年(昭和26年)10月4日に公布、同年11月1日に施行されたポツダム命令の一つとして、初めは出入国管理令だったが日本国の難民条約・難民議定書への加入に伴い1982年(昭和57年)1月1日に題名が現在のものに改められ、「法律の効力をもつポツダム命令」という特殊な状態を、それまでの略称「入管令・出管令」から、より実情に近い「入管法・入管難民法」という略称で表すことができるようになり、難民を称する者が条約・議定書上の難民に該当するか否かの認定業務を、法務省入国管理局が担当することとなる。

 出入国管理及び難民認定法を取り巻く状況に沢山の出来事があるが、重要なところを把握し、今の日本社会の状況を理解しよう。

 

出入国管理及び難民認定法を取り巻く状況タイムライン

 1990年(平成2年)の改正により「定住者」の在留資格が創設される。改正に伴い日系3世までに(一部の例外を除く。)就労可能な地位が与えられ、主にブラジルやペルー等の日系人の入国が容易になり、日本の外国人数が急激な増加を始める。約100万人だった外国人の数が2005年(平成17年)に約200万人まで増加した。

 2005年(平成17年)6月に総務省は、外国人が増え続ける状況がある中、現行の国の各種制度は外国人受け入れに関する課題に十分対応していない、住民サービスの直接の提供主体である地方自治体は様々な問題に直面している、現在は製造業等が盛んな地域における集住が顕著となっているが、今後、日本は人口減少時代を迎え、また、経済のグローバル化によって人の国際移動がさらに活発化すること等を勘案すると、外国人住民にかかわる課題は、近い将来において全国の地方自治体に共通のものとなることが予想される事などを理由に多文化共生の推進に関する研究会を設置し、2006年(平成18年)3月付で「多文化共生の推進に関する研究会 報告書 ~地域における多文化共生の推進に向けて~」を発表した。そこで地域における多文化共生推進の必要性を検討する為として、次の通りの記載がある。

 「外国人の定住化が進む現在、外国人を観光客や一時的滞在者としてのみならず、 生活者・地域住民として認識する視点が日本社会には求められており、外国人住民 への支援を総合的に行うと同時に、地域社会の構成員として社会参画を促す仕組みを構築することが重要である。すなわち、従来の外国人支援の視点を超えて、新しい地域社会のあり方として、国籍や民族のちがいを超えた『多文化共生の地域づくり』を進める必要性が増しているのである。前述のように、今後、日本の総人口は急速に減少していくことが予想される。グローバル化の進展により、人の国際移動がますます活発になる中で、社会の活力を維持するためには、外国人を含めた全ての人が能力を最大限に発揮できるような社会づくりが不可欠であり、地域において多文化共生を推進する必要性はより一層高まることとなろう。 そこで、本研究会においては、地域における多文化共生を『国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと』と定義し、その推進について検討を行った。なお、この定義からもわかるとおり、多文化共生を推進していくためには、日本人住民も外国人住民も共に地域社会を支える主体であるという認識をもつことが大切である。」

 これを受け、多くの政府機関や地方自治体などが地域における多文化共生の定義だった内容をそのまま多文化共生の定義として認識した。

 ところが多文化共生という文書自体に意味がある。多文化共生とは、単に数がいくつもある文化が共に生きる事であって、場所を指定することにより、初めて、具体的な内容で定義を定めることが出来る文書である。それを前提に考えると多文化共生の推進に関する研究会報告書の場合は、(地域)という曖昧な場所の指定がある。敢えて曖昧な場所を指定した意図は、国という立場で各自治体の目指すべき多文化共生の方向性を指す為であると考えられる。それによって地域という曖昧な場所を各自治体が改めて場所を指定する事となるが、多文化共生の推進に関する研究会にて多文化共生の定義を考える段階で地域を日本とするべきだったと感じられる。

 しかし、地域という曖昧な場所を指定する事で、現実性を無視し、多文化共生に関して間違った認識を促してしまい、多文化共生らぬ多文化主義的な、強く平等性を訴える定義になってしまった。

 2006年(平成18年)3月27日付で総務省は、地域における多文化共生推進プランについて発表をする。地域における多文化共生推進プラン内容は、次の通りである。

 「1.地域における多文化共生の意義

 地域における多文化共生の意義を例示すれば次のようなものがあるが、指針・計画(以下、「指針等」という。)においては、各地域における多文化共生施策の経緯及び現状を整理し、課題及び将来の方向性を含め、各地域における多文化共生の意義を明確にすること。

 (1) 外国人住民の受入れ主体としての地域

 入国した外国人の地域社会への受入れ主体として、行政サービスを提供する役割を担うのは主として地方公共団体であり、多文化共生施策の担い手として果たす役割は大きいこと。

 (2) 外国人住民の人権保障

 地方公共団体が多文化共生施策を推進することは、「国際人権規約」、 「人種差別撤廃条約」等における外国人の人権尊重の趣旨に合致すること。

 (3) 地域の活性化

 世界に開かれた地域社会づくりを推進することによって、地域社会の活性化がもたらされ、地域産業・経済の振興につながるものであること。

 (4) 住民の異文化理解力の向上

 多文化共生のまちづくりを進めることで、地域住民の異文化理解力の向上や異文化コミュニケーション力に秀でた若い世代の育成を図ることが可能となること。

 (5) ユニバーサルデザインのまちづくり

 国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的差異を認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくような地域づくりの推進は、ユニバーサルデザインの視点からのまちづくりを推進するものであること。

 2.地域における多文化共生施策の基本的考え方

 地域における多文化共生施策の基本的考え方には次のようなものがあるが、指針等においては、地域の特性、住民の理解、外国人住民の実情・ニーズ等を踏まえ、地域に必要な多文化共生施策の基本的な考え方を明確に示すこと。その際には、特に日本語によるコミュニケーション能力を十分に有しない外国人住民に配慮すること。

 (1) コミュニケーション支援

 特にニューカマーの中には日本語を理解できない人もおり、日本語によるコミュニケーションが困難なことによる様々な問題が生じているため、外国人住民へのコミュニケーションの支援を行うこと。

 (2) 生活支援

 外国人住民が地域において生活する上で必要となる基本的な環境が十分に整っていないことが問題としてあげられるため、生活全般にわたっての支援策を行うこと。

 (3) 多文化共生の地域づくり

 外国人住民が地域社会での交流機会が不足し孤立しがちであることや、地域社会において日本人住民と外国人住民との間に軋轢が生じることも少なくないため、地域社会全体の意識啓発や外国人住民の自立を促進する地域づくりを行うこと。

 (4) 多文化共生施策の推進体制の整備

 (1)~(3)の施策を遂行するための体制整備を図るとともに、県、市町村、地域国際化協会、国際交流協会、NPO、NGO、その他の民間団体の役割分担を明確化し、各主体の連携・協働を図ること。」

 ここで注目をして欲しい内容は、地域における多文化共生施策の基本的考え方の中にある(3) 多文化共生の地域づくり。今後、総務省より発表される各種多文化共生事例集で多文化共生の意味に関する認識違いが目立つ事となる。さらに、ここまでの内容で分かる通り、地域における文化共生の意義には、外国人への支援、外国人の人権保障、平等性等に関する内容がその他の内容より具体的になっており、地域における多文化共生の意義の主軸となっている。即ち、何を何処までしなければいけないかを具体的に決めないから意義としての非現実性に気付きにくくなっている。

 2008年(平成20年)は、世界規模の金融危機リーマン・ショックが起きる。2009年(平成21年)から2012年(平成24年)までは、2011年(平成23年)の東日本大震災の影響もあり、日本の外国人の数が減少したものの(定住者は、主にブラジルやペルー。特別永住者は、主に韓国や朝鮮。)、2013年(平成25年)から再び増加し、以降は年々増加し続けている。

 2009年(平成21年)の通常国会において,「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する等の法律」(以下「改正法」という。)が可決・成立し,平成21年7月15日に公布される。改正法においては,在留カードの交付など新たな在留管理制度の導入を始めとして,特別永住者証明書の交付,研修・技能実習制度の見直し,在留資格「留学」と「就学」の一本化,入国者収容所等視察委員会の設置などが盛り込まれている。尚、上記の内容に伴い、外国人登録制度が廃止された。

 2012年(24年)7月9日から新しい在留管理制度が始まった。「在留カード」が交付され、在留期間が最長 5 年になり、外国人登録制度が廃止され、再入国許可の制度が変わった。

 2016年(平成28年)2月より、総務省が地方自治体における多文化共生施策の指針・計画の策定に参考となる考え方を示した「地域における多文化共生推進プラン」の策定・通知から10年を迎えることから、地域における多文化共生施策の更なる推進に資するため、「多文化共生事例集作成ワーキンググループ」を開催し始め、2017年(平成29年)3月付で「多文化共生事例集~多文化共生推進プランから10年 共に拓く地域の未来~」を発表する。これによって地方自治体や関わりある各団体が多文化共生をどう認識するかを確認が出来る。

 事例集:

 1 コミュニケーション支援(9事例)

 (1) 多言語・「やさしい日本語」による情報提供(6事例)、(2) 大人の日本語学習支援(3事例)

 2 生活支援(28事例)

 (1) 居住(2事例)、(2) 教育(10事例)、(3) 労働環境(4事例)、(4) 医療・保健・福祉(6事例)、(5) 防災(6事例)

 3 多文化共生の地域づくり(9事例)

 (1) 地域社会における多文化共生の啓発(4事例)、(2) 外国人住民の自立と社会参画(3事例)、(3) 多文化共生に関わる体制づくり(2事例)

 4 地域活性化やグローバル化への貢献(6事例)

 (1) 地域活性化への貢献(3事例)、(2) グローバル化への貢献(3事例)

 (全52事例)

 前述のように、地域という曖昧な場所の指定と外国人への支援、外国人の人権保障、平等性等の内容への偏りに加え、多文化共生に最も関わりあるその他の内容の具体化の無さにより、実現ではなく、推進という言葉に化けているやっていれば良いだけの事例集となっている。

 その内訳は、主に支援、国際交流となっており、惜しくも広島県国際課は、多文化共生区市町村担当職員向けに研修を行ったが、内容を確認すると外国人への対応における支援に特化している為、結局は支援である。地方自治体職員が多文化共生に関する研修を受けなければいけない理由は、区市町村民に多文化共生に関する理解を得るに当たって自分達が理解をしていなければいけないからである為、必須かつ重要である。ただし、多文化共生の実現において多文化が触れる全ての部署、即ち、全ての部署の全職員が研修を受け、理解しなければ無意味と言える。

 外国人が完全に接点の持たない区・市・町・村役場の課や係を述べて見よう。外国人の事態に少し詳しい者なら、選挙課等(外国人には、選挙権が保障されない)をあげますが、選挙権がないからその課に用がない訳ではない。権利がなくとも、それに関する情報を知りたい、自身にその権利を有しない理由を確認したいという外国人が実際に多く存在する。その為、多文化共生は、一つの部署が行う事業で実現されず、あらゆる部署の中の制度を多文化に対応出来る様にする事によって多文化共生が実現する。即ち、日本における多文化共生は、各地域における多文化共生の実現によって実現される。また、各地域における多文化共生は、それらの地域の各地方自治体における多文化共生の実現によって実現される。

 日本における多文化共生が実現する為には、日本総人口の約98%を占める日本人の意識・認識が改革される必要があるが、各種多文化共生推進施策の計画を立案&実行を行う地方自治体職員の意識・認識を改革しなければならない。それは、自身が扱っている商品に自信を持っていない営業者の売り上げが悪い理由でもある。多文化共生の事を良く知っておらず、実現の必要性を認めていない、多文化共生の実現をこころから望んでいない地方自治体職員がどうやって貢献出来るでしょう。

 他に同事例集に挙げられている内容である多文化共生の地域づくりや地域活性化、グローバル化への貢献の題名に問題は無いが、実際に行われた事業内容ややり方が問題ありと見受けられる。題名が変わっても挙げられている事例は、支援、国際交流、観光のみである。国際交流や観光が多文化共生と全く関係がない訳ではない。問題は、具体化の足りなさによる事業の程度や規模。これらの三つの内容に置かれては、永遠とやっているだけで良い、具体的な結果が求められていないやりやすい多文化共生推進事業となっている。

尚、平等性である事や外国人への支援などをしてはいけない訳ではない。むしろ、して頂ける事で外国人が助かる事がある。ただ単に、多文化共生社会の実現と直接的な関係がないという事を理解する必要がある。簡単に言えば、多文化共生は、イコール支援、国際交流、観光ではない。

 2016年(平成28年)11月18日、第192回臨時国会において「出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律」が成立し、同月28日に公布される(平成28年法律第88号)。この改正法は、介護福祉士の資格を有する外国人が介護業務に従事するための在留資格を設けること並びにいわゆる偽装滞在者の問題に対処するため、罰則の整備及び在留資格取消制度の強化を行うことを内容とするものである。

 2018年(平成30年)12月8日,第197回国会(臨時会)において「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」が成立し,同月14日に公布される(平成30年法律第102号)。この改正法は,在留資格「特定技能1号」「特定技能2号」の創設,出入国在留管理庁の設置等を内容とするものである。

 2020年(令和2年)9月に総務省は、地域における多文化共生推進プランを改訂する。地域における多文化共生推進プラン(改訂)は、次の通りである。

 「社会経済情勢の変化等を踏まえた地域における課題

 地域における多文化共生の推進に当たって、次のような課題がある。

 ①コミュニケーション支援

・外国人住民の国籍が多様化する中、地域における外国人住民等の人数や国籍等の状況に応じて、希少言語ややさしい日本語を含めて多言語対応が必要である。

・多言語翻訳技術の高度化と社会実装が進んでいる中、スマートフォンのアプリをはじめICTを積極的に活用し、多言語対応を図ることが必要である。

・増加を続ける外国人住民が日常生活及び社会生活を地域住民と共に円滑に営むことができる環境の整備を図るため、日本語教育を推進することが必要である。

 ②生活支援

・外国人住民の増加に伴い、日本語指導が必要な児童生徒が増加する中、外国人の子供の就学促進や教育環境の整備が必要である。

・激甚化する気象災害をはじめとする災害、新型コロナウイルス感染症等に備えた外国人対応を進めることが必要である。

・外国人住民の増加に伴い、医療・保健サービス、子ども・子育て及び福祉サービスについて、多言語対応を図ることが必要である。

・新たな在留資格創設に伴う外国人材の受入れ環境を整備するとともに、大都市圏その他特定地域への集中防止策を講じることが必要である。

 ③意識啓発と社会参画支援

・「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(平成 28 年法律第 58 号)の制定も踏まえて、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けて、相談体制の整備、教育の充実等及び啓発活動等に努めることが必要である。

・ポストコロナ時代の誰ひとり取り残されることない「新たな日常」を見据えて、多様性と包摂性のある社会の実現に向けて、地域社会やコミュニティ等において必要となる人の交流やつながり、助け合いを充実するための環境を整備することが必要である。

・身分に基づく在留資格を持つ者や留学生といった中長期的な在留展望を持つ外国人住民が増えていること、外国人住民の年齢構成が若いこと等を踏まえ、地域社会において、外国人住民がその担い手となる取組を推進することが必要である。

 ④地域活性化の推進やグローバル化への対応

・人口減少・少子高齢化が急速に進展する中、地域の活性化を通じて、持続可能な地域づくりを推進するため、外国人住民と連携・協働を図ることが必要である。

・急速に進展するグローバル化に対応し、その恩恵を地域にもたらすため、外国人住民の知見やノウハウの活用を図ることが必要である。

地域において多文化共生施策を推進する意義

 地域における多文化共生を推進することは、「外国人住民の受入れ主体としての地域」「外国人住民の人権保障」「地域の活性化」「住民の異文化理解力の向上」等の意義を有しているとともに、特に、次の点から今日的な意義を有しており、重要性が増している。

 (1)多様性と包摂性のある社会の実現による「新たな日常」の構築

 全ての外国人住民を孤立させることなく、地域社会を構成する一員として受け入れていくという視点に立ち、日本人と同様に行政サービスを享受し安「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」(「多文化共生の推進に関する研究会報告書」(平成 18 年3月))。心して生活することができる環境を整備していくことが必要である。外国人住民も含めて、地域社会やコミュニティ等において必要となる人の交流やつながり、助け合いを促す環境を整備し、多様性と包摂性のある社会を実現することで、ポストコロナ時代の誰ひとり取り残されることない「新たな日常」の構築につながることも期待される。また、持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のための国際目標を定めた「持続可能な開発目標」(SDGs)においても、包摂性を示す「誰ひとり取り残さない」とのキーワードは、分野を問わず求められる基本的理念とされている。

 (2)外国人住民による地域の活性化やグローバル化への貢献

 外国人住民が、主体的に、自らの強みや外国人独自の視点を活かして、地域の魅力に係る情報発信、地域産品を活用した起業、地域の観光資源を活用したインバウンド観光の受入れ等の担い手となる事例や人材が現れつつあり、こうした外国人住民との連携・協働を図ることで、地域の活性化やグロ ーバル化に貢献することが期待される。

 (3)地域社会への外国人住民の積極的な参画と多様な担い手の確保

 在留期間が無期限の「永住者」の人数が年々増加し、在留外国人全体の約3割を占めるなど、緩やかな定住化の傾向が見られること、外国人住民の年齢構成が若いこと等を背景に、外国人住民が、外国人コミュニティや人口減少・少子高齢化が進む地域を支えている事例が現れつつあり、今後の地域社会を支える担い手となることが期待される。また、外国人住民が多文化共生施策の推進に関与することにより、外国人住民のニーズを的確に捉えて、多文化共生施策の質の向上を図ることも期待される。

 (4)受入れ環境の整備による都市部に集中しないかたちでの外国人材受入れの実現

 外国人労働者が増加するとともに、今後、特定技能外国人の円滑かつ適正な受入れも進む見通しである。こうした中、外国人住民が地域においても十分な行政サービスを受けられる体制を整備するとともに、国や企業をはじめとする関係機関と連携して就業支援や就業環境そして生活環境の整備を行うなど、地域における多文化共生施策を推進することにより、都市部に集中しないかたちでの外国人材の受入れ環境を整備することが必要である。」

 上記の内容から分かる通り、これまで多文化共生推進各種事業に係る者(地方自治体、団体、その他を含む。)の中に多文化共生とは何なのか正確に理解する者がおらず、外国人にも関係している内容として、とりあえず国際協力、国際交流と一緒にして考えていいものだとされている。また、場所を指定することで多文化共生に国際化管理政策の役割を与えるはずが、「国際人権規約」、「人種差別撤廃条約」を気にするあまり、多文化共生を多文化共生主義に等しい意味として捉え、外国人に対する支援に特化してしまい、外国人の自立を目的とするはずが、その妨げになってしまっている。なぜなら外国人の自立は、支援によって実現されるものではなく、主に日本人で構築されている地域社会の支えによって実現する。しかし、地域社会が外国人を支える理由を間違っている。人権があるからと外国人可哀そうという感覚で支援してあげるというニュアンスで意識・認識されてしまっている。してあげる感覚だから、してあげたい人しか支えてくれない。日本人が外国籍住民を支える事で自身に利益があるという意識・認識を越えて、「理解」出来る様、進めなければならない。自分たちの為にやる事だから、多くの人の参画が期待される。

多文化共生の実現の妨げになりうる言語支援

 日本国内に日本語が堪能ではない外国人が全体の大半を占める。日常会話程度が話せる外国人が少しいる。そしてほんの一部の外国人は、日本語が堪能であるといえる事が現状である。そこで、それぞれのグループの共通点について予測すると日本語能力の向上に深く関わっているのが支援であると考えられる。日本語が日常会話程度及び堪能な外国人が言語支援をあんまり受けていない又は全く受けていない人である傾向がある。逆に、日本語が堪能ではない外国人が言語支援を多少受けている、ある程度受けている、沢山受けている人が大半である傾向がある。言語支援は、その場面の助けになるが言語能力向上による自立意欲を抑えてしまう傾向があるからです。

 13年以上も前に外国人が増え続ける状況がある中、現行の国の各種制度は外国人受け入れに関する課題に十分対応していない、住民サービスの直接の提供主体である地方自治体は様々な問題に直面している、現在は製造業等が盛んな地域における集住が顕著となっているが、今後、日本は人口減少時代を迎え、また、経済のグローバル化によって人の国際移動がさらに活発化すること等を勘案すると、外国人住民にかかわる課題は、近い将来において全国の地方自治体に共通のものとなることが予想されるとしていた。総務省が設置した多文化共生の推進に関する研究会が議題を進めるにあたって当時の知識と状況で地域における多文化共生の定義を決めたが大きな変更をしていない。

 外国人の自情や状況のみならず、日本社会全体の事態が当時と完全に異なっている中で、改めて多文化共生とは何なのか、「実現」する為に何が必要か、考え直し、具体的に計画を立てる事が望ましい。

 

現在の多文化共生とは?

 現代において、言葉の意味のみならず、何でもインターネットで調べる事が一般的となっている。即ち、大半の日本国民にとってインターネットは、生活にかかわる全ての情報源と言える。病気、言葉の意味、人物や場所の歴史等、実際は、あんまり信頼してよいものではないが多くの人に取ってインターネットから得る内容こそが真実となっている事が現実であることは否定できない。そんな中、インターネットで「多文化共生とは」を検索してみると、主に二つの内容がヒットします。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 多文化主義(たぶんかしゅぎ、英: multiculturalism)とは、異なる文化を持つ集団が存在する社会において、それぞれの集団が「対等な立場で」扱われるべきだという考え方または政策である。

 多文化共生:様々な地方自治体、団体、省庁いくつか。(もっともヒットする内容)

 多文化共生とは「国籍や民族などの 異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、 地域社会の構成員として共に生きていくこと」。

 もっともヒットする内容は、2006年(平成18年)3月付で総務省が発表した「多文化共生の推進に関する研究会 報告書 ~地域における多文化共生の推進に向けて~」の中にある総論第5、地域における多文化共生推進の必要性に記載してある内容であり、限られた観点を持つ者達の話し合いの中で約13年も前に定められた地域における多文化共生の定義であって、多文化共生の定義そのものではない。

 多文化共生とは単に数がいくつもある文化が共に生きる事であり、そこまで難しい事だはない。ただし、場所を指定することにより様々な意味合いが持てる文書でもある。そもそも、多文化共生を外国人と日本人の場合のみで利用すること自体が間違いであり、日本人の中で生じる地域ごとの文化も多文化の対象であるとして考えなければならない。

 先ほど申し上げたように、多文化共生に場所を指定する必要がある。指定する場所によって当てはまる形の多文化共生があるからである。例えば、どの国の領土ともしない島、無主地に世界規模の多文化共生計画として世界中から国籍の異なる人々を(人数・年齢別・性別・その他の偏り全てを無くした状態を絶対条件とする。)送り込む場合、「無主地における多文化共生」を考えようとした際に特定の国籍の人が有利となる条件を定める事が出来ない。よって、その場合は、多文化主義を基準とした多文化共生計画が必要となると言える。さらに、人数・年齢別・性別・その他に偏りが出来始めるとその多文化共生が適用出来なくなる為、その条件にあった国際化管理政策が必要になる。具体的に、偏りを生み出さない為の政策。

 ところが、日本における多文化共生においての無主地が日本国であり、無主地ではない。人数・年齢別・性別・その他の偏りは、途轍もなくある。日本国の原住民は、日本人である。日本人は、日本総人口の約98%を占めており、残りの僅かな約2%が外国人である。国籍別に分けてしまえば、数字で表しづらい国籍もある中で、日本において最初から日本人と外国人が対等な立場にないと言える。それは、悲しい現実ではなく、単なる現実、当たり前な事です。場所を日本からアメリカやブラジル、どの国に変えても同じ現象が起きる。それ自体が社会であり、最初から対等な関係にない日本人と外国人が対等な関係を気付こうとする行為は、社会の本質に逆らう行為であり、立場的に違いがある上に対等な関係ではないという事実を受け入れながら、お互いにリスペクト(尊敬)し合う関係を気付いていくことこそが現実的な多文化共生の推進である。尚、日本における多文化共生の実現政策には、人権を含める必要がない。なぜなら多文化共生は、人権が守られている前提で進むべき計画である。人権が守られていない場合は、人権問題であり、多文化共生問題ではない。

 それを踏まえ、言える事は、現時点で日本に定着している多文化共生の定義が地域という曖昧な場所を指定している事で日本における多文化共生ではなく、何処か分からないところの地域における多文化共生であり、多文化主義の定義を少しだけ変えた定義で、非現実的な・実現不可能な政策になっている。

多文化共生のあるべき姿とは?

 多文化共生を多文化主義と同じにするならば、多文化共生ではなくそもそも多文化主義として推進すれば良いものである。しかし、それは多文化共生ではないので、多文化共生推進などという題名ではなく、多文化主義政策などという題名にすべきである。

 本来、多文化共生とのあるべき姿は、(以下は、本来の多文化共生とする)日本で行う事を前提に考えれば「日本における多文化共生」ではなければならない。つまり、日本や日本国民を第一として考える政策でありつつ外国人にとって悪くないもの。(人権保障をしなければいけない為。)簡単に言えば、外国人を虐めてはいけないですが、贔屓にするのもいけないという事です。何故なら多文化共生が実現する為には、日本国民全体が多文化共生に参加ではなく、参画をする必要があるからである。日本総人口の約98%を占める日本人が喜ぶ形にする必要がある訳です。

 ただし、重要な事を述べなければいけない。多文化共生政策には、正解・不正解がある訳ではないのです。今現在、日本で進められている多文化共生推進事業も、非現実的で実現不可能な形ではあるが、多文化共生推進事業である事は変わらない。どんな形であれ推進だけを望んでいる段階では、多文化共生推進事業だと言えば、そうであると認めざる得ないのです。ここで使う「多文化共生のあるべき姿・本来の多文化共生」には、実現を目的とした前提を言葉に込められているのである。即ち、これから本計画にて語られる日本における多文化共生社会実現計画は、唯一無二の多文化共生社会実現計画ではなく、実現可能な計画であると理解して欲しい。

 さて、多文化共生、即ち、日本における多文化共生とは何かを検討する為には、考えるべきキーワードがグローバル化と国際化である。しかし、多文化共生とは何かを検討するに当たってグローバル化や国際化として定着している意味ではなく、多文化共生にあった観点で考える必要がある。

 インターネットでグローバル化や国際化とは何かを調べてみると次の内容が結果として出る。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 グローバリゼーション(英: globalization, globalisation)とは、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。グローバライゼーション、グローバル化、世界化、地球規模化などとも呼ばれる。他動詞にする場合にはグローバライズする(英:globalize)という。「グローバリゼーション」という言葉は、様々な社会的、文化的、経済的活動において用いられる。使われる文脈によって、例えば世界の異なる地域での産業を構成する要素間の関係が増えている事態(産業の地球規模化)など、世界の異なる部分間の緊密な繋がり(世界の地球規模化)を意味する場合もある。「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は「国家間」で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は「地球規模」で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される。具体的に言えば、世界地図を見て国境を意識しながら国家間の問題を考えれば、「インターナショナル」な問題を考えている事になる。対して、地球儀を見ながら地球全体の問題を考えれば「グローバル」な問題を考えている事になる。即ち、「グローバリゼーション」の方が「インターナショナリゼーション」よりも範囲は広くなる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 国際化(こくさいか、英語:Internationalization)とは、複数の国家が相互に結びつきを強め、相互に共同して行動をするなど、互いに経済的、文化的に影響をあたえあう事象全般をさし、国際化社会とは、国際化の進展している社会をさす。国際化が国家間に生まれる概念であり、その基本的単位はあくまでも主権国家であるのに対し、グローバリゼーションは「世界」を一体的なシステムと考え、主権国家を必ずしも前提としていない点が異なる。つまり、国際化社会においては国境の役割は依然大きく、たとえばヒトやモノが国境を通過することは監視すべきものとされるが、グローバリゼーションにおいては、そもそも文物の国境通過は必ずしも監督すべき事項ではなく、そこにおいて秘匿性を保持することが、前提となる価値観の一つとして重要視されるのである。

 ところが前述のように多文化共生とは何かを検討するに当たってグローバル化や国際化として定着している意味ではなく、多文化共生にあった観点で考える必要がある為、それらの意味に関する観点が次の通りと考えるべきであろう。

多文化共生の実現にあったグローバル化・国際化の意味

 グローバル化とは、文明の進化に伴って、もうはや止める事の出来ない現象である。世界各国の間で「人・情報・技術・製品・文化・言語・等々」が行き来する或いは、行き来出来る状況が整っている事である。

 国際化とは、グローバル化が進んだ事により引き起こされる結果全てである。尚、引き起こされる結果の種類は、2種類に限る。その国、即ち、その国民にとって好影響であるか、悪影響であるか。止められない現象であるグローバル化が進んだ事による結果である為、その国が鎖国しない限りは国際化もまた止められない現象である。尚、その国が鎖国してもその国の国際化が止められる保障がない。

 従って本来の多文化共生、日本における多文化共生とは、グローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を好影響として保ち、悪影響を好影響に変える為の政策、即ち、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする国際化管理政策ある。

 尚、日本における多文化共生が実現される為には、日本人を第一とする国際化管理政策が必要である。さらに、日本人がそれに参画する必要があり、その必要性を生み出せる為に日本における多文化共生の実現を目的とする各種事業を進める各種自治体職員が日本における多文化共生が実現する必要性を認め、理解し、こころより各種事業に取り組む必要がある。最後に、日本における多文化共生の実現に関わっている各種自治体職員は、多文化共生と関係のない課や係がない事から「全員」である。

 また、場所を指定する際、より限定的な地域を指定する場合においても、○○都・○○道・○○府・○○県、○○区・○○市・○○町・○○村と具体的に指定することにより本来の多文化共生の意味に影響がなく、それを実現する為に事業内容に多少の変化が生じるだけである。

 そこで、日本における多文化共生の実現に向けた計画において最も重要な事は、次の通りである。

 ・正しい推進体制と役割分担が必要である。

 ・多言語専門家の確保は、最優先事項である。

 ・多文化共生事業は、民営化すべきである。

 ・対象者は、外国人ではなく、日本人である。

 ・日本人の意識・認識・認知による必要性を待つではなく作る必要がある。

 ・JETプログラム(ALT・CIR・SEA)は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

 ・国際協力事業は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

 ・国際交流事業は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

 ・外国人に対する生活支援は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

 ・日本語学習支援は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

 ・医療通訳やコミュニケーション支援は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

 ・現在の外国人を対象とする防災体制は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

正しい推進体制と役割分担

 推進体制と役割分担を考えるに当たって、視点によって観点が大きく変わる事を理解する必要がある。それを検討する為には、より具体的に視点を表しているところの観点を確認する必要がある。下記は、長野県が県内のこれからの多文化共生推進の道標となるべく策定した「長野県多文化共生推進指針」に記載がある内容です。

 「国、県、市町村、国際交流協会等の団体、事業者、教育機関は、それぞれの役割を踏まえ、連携して多文化共生の実現に努める。

(1)国

 国は、外国人の受入れ及び現在地域で暮らしている外国人との共生について、明確な方針を示すとともに、多文化共生を目指す地方自治体に必要な財政措置を行う。

(2)県

 県は、この指針を広く県内に周知し、各推進施策の展開を促進するとともに、広域的な課題については、市町村や多文化共生を推進するNPO等と協働して事業の展開を図る。

(3)市町村

 市町村は、外国籍県民に対して、多文化共生を推進するNPO等と連携して、多文化共生の地域づくりを推進するとともに、生活支援策を実施する。

(4)多文化共生を推進するNPO等

 ほかの団体等と連携して、多文化共生推進事業を展開するほか、県や市町村の行う推進策に協働して取り組み、外国籍県民と行政、学校等とのパイプ役を果たす。

(5)事業者

 外国籍県民の適正な雇用や外国籍県民に配慮した物品やサービスの提供などに取組むとともに、自治体や多文化共生を推進するNPO等の多文化共生の推進に係る取組に協力して、多文化共生の地域づくりに貢献する。

(6)大学

 大学は、多文化共生を担う人材の育成、多文化共生に関する調査研究、行政等の施策立案への支援、留学生の地域活動支援等を通じて、多文化共生の地域づくりを推進する。

(7)小中学校、高等学校及び特別支援学校

 すべての児童生徒に対して多文化共生社会を目指した教育を推進する。 また、自治体や多文化共生を推進するNPO等と連携して、外国籍児童生徒等で日本語能力が不足している者に対し、学習支援を行う。

(8)県民

 県民は、国籍等に関わらずお互いを隣人として対話や交流を通じて、異なる文化や生活習慣などへの理解を深めるとともに、お互いを積極的にとらえ、協働して地域社会に貢献する。」

 それでは、別の視点でこれらの推進体制と役割分担について検討しよう。尚、長野県多文化共生推進指針と同じである場合は、「申し分なく、その通りであると言える」と表現する。

(1)国については、申し分なく、その通りであると言える。

(2)県については、概ね申し分ない。あえて言うなら「市町村や多文化共生を推進するNPO等と協働して」という文に「等」という記載があるものの民営会社が事実上それに含まれていない他、その事態を変えようにも別の大きな問題が発生している。各担当者の興味、都合、やる気、などによって多文化共生の推進に途轍もなく影響が及ぼしやすい状況である。通常であれば、自身の観点と異なる考え方と直面した際、受け入れるか否かは別として、理解しようとする必要がある。例えば、生活保護の場合、受給が認められるか否かは、審査の結果次第だが、申請書を受け付けないのでは、問題が審査以前にある。例え関わっている人、機関、地方自治体、その他が全員で考えが既に一致していたとしても理解しようとしなければ、情報共有しようとしなければ、知らない内容について誰もが考えるはずもなく、変わるところも変わらなくなる。各市町村で考えが変わりにくくとも、県では絶対にあってはならない事。何故なら、県の指針を広く県内に周知し、各推進施策の展開を促進するとともに、広域的な課題については、市町村や多文化共生を推進するNPO等と協働して事業の展開を図る存在なのだというのだから。

(3)市町村については、矛盾していると言える。県と同様に多文化共生推進に民営会社を含まない事もあるが、日本における多文化共生と正反対の内容を実施する役割があるとしている。多文化共生の地域づくりを推進する為には、外国人の自立が必要不可欠です。生活支援の形によって自立の妨げとなり、自立の必要性、自立しようという意欲を中途半端に満たしてしまう。本来は、生活の支援を地域の皆様に求めるべきであり(日本人と同様)、言語の壁が自身にとって都合が悪い場合は、自身が負担すべき、背負うべき責任である。日本や日本人に外国人の日本語が出来ない現状に対する責任は、一切ない。外国人は、奴隷として来日したのではなく、言語の壁、文化の壁、制度の壁、その他あらゆる壁の存在を知った上、来日する事を選んで(一部の外国人を除く)いる。それは、自己都合という。日本語能力や日本文化に関する知識力が低い場合には、支援を受けている又はこれまで受けていたという人である事が多く、逆にそれらの能力や知識力が高い人の場合は、支援を受けていない事が多いからこそ、支援が自立の妨げになると言える。だから、市町村の役割は、市町村民一人一人の多文化共生に対する興味や必要性に応じてではなく、多文化共生に関する興味や関心とは関係なく必要性があるという事を理解してもらう事が本来の役割と言える。そして、その為には、まずは市町村を統括する地方自治体が多文化共生とは何かを理解し、多文化共生が実現する必要性を理解する必要がある。多くの市町村は、多文化共生推進の各種事業の規模が小さいのは、市町村民の皆様の興味が薄く、よってニーズがないからであると言う。しかし、それは、市町村が地方自治体として役割を果たしてないからである。市町村民の多文化共生に対し興味を持ってもらう事自体が市町村の役割であり、これをやらない事には始まらないのです。

(4)多文化共生を推進するNPO等については、題名の時点で論外です。多文化共生を推進するNPO等が日本に現時点では存在しない。国際交流や国際協力、様々な支援が多文化共生推進事業と認められてしまっている現状があるからそう言えるだけであって、実際に多文化共生推進事業を行っているNPO等が存在しない。さらに、多文化共生の「実現」に向けて「過程」に過ぎない「推進」をそもそも事業の目的としている為、実現が望めず、永遠の推進サイクルで実績が求められない事業がしやすくなる。例えば、生活支援などの相談業務を受けている団体が多文化共生推進事業としてそれに係る業務委託料、補助金や助成金を受けるが、推進である為ある程度の人数の利用があれば通る条件が多い。いわば、推進と実現では、ハードルの違いが明確です。さらに、多言語専門家などを雇うとして(5)事業者となるケースが支援をするにあたって原則としてあるのに対し、予算の無さなどを理由に自ら多言語専門家の確保の妨げをしていて、多言語専門家が現在苦しむ杜撰な状況を作り出している。何故ならば、多言語専門家の大半が個人(自営業)として雇われるケースが主流だからである。「報酬」があるものの、労働者としての地位が与えられず、それに係る権利が主張出来ない。その報酬が専門性に見合っていれば良いが、アルバイトやパートなどと変わらない金額設定、かつ労働者としての権利がない。そう考えれば現在は、多言語専門家の多くにとって(日本人の場合は、その限りではない。)NPO等がブラック企業ならぬブラック団体である。

(5)事業者については、概ね申し分なく、あえて言うならば「任意」であるという所でしょう。役割としては、まともな事が書いてあるが、「以降は、知らない」姿勢が非常に残念と言える。

(6)大学については、申し分なく、その通りであると言える。

(7)小中学校、高等学校及び特別支援学校については、(3)市町村の内容と同じように矛盾していると言える。多文化共生と支援は、正反対です。さらに、記載がない内容だが事実上行われている事が多い、保護者への言語支援、通訳者の配置なども多文化共生の妨げとなる。外国人に対し特別的な扱いをし、中途半端に支援を行い、中途半端な結果を生み出して当然である。

(8)県民については、「ありえない」の一言です。完全に手抜き内容と言えるでしょう。分かりやすく言えば、「地域社会の為に日本人も外国人も適当に有効な関係を築いて貰って、互いの事を分かり合う様に努力をしてね。」の丸投げスタイル。しかも、平等性から外れると怖いのか、「国籍などに関わらず」と来る。日本における多文化共生の実現に国民(日本人)の役割がもっとも重要である。外国人は、前述にもあったように自分自身の都合で来日する。そうでもない者もごく少数いるが、それらの者を除く。だから、自らの意思で自分が困っていると思っていないのに、何故日本人の文化を知る興味が沸くのか、日常的に支障を感じれない場合には何故今以上の日本語能力を求めなければいけないのか。外国人は、日本語が出来ない、日本の文化を知らない事に関して困るのが外国人自身と思いたいけれど実際に困るのが日本人なのです。その為、日本人は、外国人が総合的にどう考えるかを理解し、扱い方を覚え、余計な支援をせず相手に自立する必要性を植え付ける事が重要である。

 では、推進体制と役割分担について改めて検討する。

 国、県、市町村、国際交流協会等の団体や多文化共生の実現を目的とする民営会社、事業者、教育機関は、それぞれの役割を踏まえ、連携して多文化共生の実現に努める。

(1)国

 国は、外国人の受入れ及び現在地域で暮らしている外国人との共生について、明確 な方針を示すとともに、多文化共生を目指す地方自治体に必要な財政措置を行う。

(2)県

 県は、この指針を広く県内に周知し、各推進施策の展開を促進するとともに、広域的な課題については、市町村や多文化共生の実現を目的とする民営会社と協働して事業の展開を図り、指針と異なる観点にも耳を傾け懸命にあらゆる視点も視野に入れ検討する。

(3)市町村

 市町村は、多言語専門家の確保を目的に各地方自治体の境界線を気にせずに広範囲で事業を展開できる、かつ日本における多文化共生について精通した民営会社に日本における多文化共生業務を委託し、市町村民の皆様に国際化管理政策への参画を促す。

(4)日本における多文化共生の実現を目的とする民営会社

 日本における多文化共生の実現を目的とする民営会社は、地方自治体が行う各種多文化共生推進事業及び多文化共生実現並びにそれらに係る国際化管理政策に協働して取り組む。

(5)事業者

 外国籍県民の適正な雇用や外国籍県民に配慮した物品やサービスの提供などに取組むとともに、自治体や日本における多文化共生の実現を目的とする民営会社の多文化共生の推進に係る取組に協力して、多文化共生の地域づくりに貢献する。

(6)大学

 大学は、多文化共生を担う人材の育成、多文化共生に関する調査研究、行政等の施策立案への支援、留学生の地域活動支援等を通じて、多文化共生の地域づくりを推進する。

(7)小中学校、高等学校及び特別支援学校

 すべての児童・生徒に対して多文化共生社会を目指した教育を推進する。 また、自治体や日本における多文化共生の実現を目的とする民営会社と連携して、外国籍児童・生徒等で日本語能力が不足している者に対し、日本語学習が出来る方法や場所の紹介を行い、日本人の児童・生徒と同等な扱いをし、児童・生徒並びに外国籍保護者の自立を目的とした取り組みに協力する。

(8)日本人県民

 日本人県民は、日本における多文化共生が実現する必要性を理解し、自分と関わりある外国人が自立の他、地域社会の一員として認識が持てる様に必要な対応を行う。また、どう対応すれば良いか迷った時には、市町村が設置する日本における多文化共生に関する相談窓口に相談し、国際化管理政策に協力する。

多言語専門家の確保

 多言語専門家の確保の前に、現状を知ろう。多言語専門家という職種は、ボランティアとしての認識が高まっている為、生活すら出来ない報酬で自営業並びにパート及びアルバイトの様な雇用形態で業務を行うことが主流となっている。そのため、有能な多言語専門家を確保出来ず、「たまたま時間が空いているなどの事情で現在の雇用形態・報酬でも良い」とする、能力・知識力・経験の低い外国人で対応していることが主な現状である。業務時間の制限や自営業として雇われている為などを理由に社会保険に加入出来ない、有給休暇や産前・産後休業などが提供されないといった労働環境では、言語能力・専門知識力の高い外国人が多言語専門家という職種を諦め、一般の職種に流れていってしまう。しかし、例え言語能力等が高い外国人であっても、一般の職種において言語能力が日本人以下である場合が多く、正社員などとしてではなく、派遣社員やアルバイトの生活を余儀なくされ、NPOや地方自治体が逆に不安定な雇用形態を推進してしまっていることが現状である。

 国、都道府県、区市町村、国際交流協会等の団体、事業者、教育機関などは、多言語専門家の確保の重要性を知っていて多文化共生に関する様々な書類に確保や育成、養成が必要であると入れたりしますが、蓋を開けて見れば、普通に多文化共生コーディネーター等として確保されるのが日本人、多言語の専門家である日本語能力の高い外国人に対する確保、育成、養成などは、あくまでもボランティアに近い扱いである。それを背景に、現在において能力の高い多言語専門家が確保されておらず、不足しているのも無理はない。正直、多言語専門家は、「なめられている」のである。

 全国的に見れば、言語能力の高い人材を雇っている地方自治体やNPO等がある。その背景には主に二つの理由があると見受けられる。仕事量が多く、専門性に見合っていない金額であってもフルタイム等で働けることにより生活が出来る報酬をもらい、労働者としての地位が与えられ、労働者の基本的な権利が利用できる体制が整っている。又は、雇用条件が悪くても、一時的に自己都合によりそれでも良い。

 多言語専門家を確保する為には、生活が出来る、専門性に見合った金額の報酬かつ労働者としての地位、労働者としての権利を与える必要がある。それは、普通に考えれば分かる事です。自分自身がその立場に立ってみれば分かる事でしょう。これまでに行われてきた事、行われてきてない事を見れば分かる事です。

 しかし、地方自治体によって必要性や使える予算、その他など、それらの条件を満たすのを妨げる理由がある。だから、日本における多文化共生、それに係る国際化管理政策、多言語専門家の確保が民営会社でしか行えない事業である。

 多言語専門家の人材の確保を妨げるのは多言語専門家に与えられる雇用条件だが、雇用条件の向上を妨げるのは制度の壁です。地方自治体は、容易に境界線を越えて公的お金を使って施策を行えない。地方自治体同士で協定などを結び広範囲事業を行うことはあるが容易に出来る事ではない。NPO等の団体もまた、特定の地方自治体から業務委託料などで経営が成り立っている為、その地方自治体と同じ制限が課される。そもそも広範囲で動けるのは国だが、国の役割は、外国人の受入れ及び現在地域で暮らしている外国人との共生について、明確 な方針を示すとともに、多文化共生を目指す地方自治体に必要な財政措置を行う事である。それに対し民営会社は、各地方自治体やNPO等の団体から個別に業務の依頼を受け付ける事ができる。面倒な事が一切なく、異なる都道府県や区市町村の業務委託を受け付けることが出来るという事です。よって、全国からの業務依頼が一か所に集中する事により効率良く職務の振り分けが可能となり、同じ人材で多くの業務が行える。従って、予算などの関係で国際化管理政策が出来なかった区市町村が低価格で対応が可能となり、多言語専門家の確保に必要な財も確保できる。こうして、確保が不可能だった少数の言語にも対応が可能となり、多言語専門家の確保が可能になる。

多文化共生事業の民営化

 現在、全国的に行われている多文化共生事業は、多文化共生事業ではなく、多文化共生の推進を目的とされているJETプログラム(ALT・CIR・SEA)国際協力事業、国際交流事業、外国人に対する生活支援、日本語学習支援、医療通訳やコミュニケーション支援、外国人を対象とする防災訓練などです。しかし、多文化共生について語られる前からすでに行われていた事業がほとんどである。では、何が起きている?シンプルな事です。本来は、多文化共生がそれらの事業と関係のない事業である上、正反対の事業である。ところが、多文化共生に日本が意識をし始めた時、たまたま外国人や外国語と関係するという観点から元々行われていたそれらの事業の上にある物として認識し、独立した施策としてではなく、独立していたはずの各種事業を取りまとめる存在とした。これまで問題とされない理由は、「推進」という言葉に原因がある。多文化共生推進事業と言えば利用されている他に推進しているかどうかやどのくらい推進したかを図りようがない。だから、利用さえされていれば推進事業として成り立つ。例えば、国際交流イベント等の参加者を関係者や関係者の知人、家族、いわいる訳アリ参加者で埋め尽くしたとしても、事業が成功とされる。本来は、推進と言えばどんどんと進まなければいけない。いつまでも同じ参加者の為に事業を行っても意味がないという訳です。しかし、多文化共生推進各種事業の事態は、まさにそういう事態なのです。

 そこで、JETプログラム(ALT・CIR・SEA)国際協力事業、国際交流事業、外国人に対する生活支援、日本語学習支援、医療通訳やコミュニケーション支援、外国人を対象とする防災訓練の事を多文化共生の実現を目的とした政策と独立した施策である事を前提に考える必要がある。

 日本における多文化共生の実現を目的とした政策は、グローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を好影響として保ち、悪影響を好影響に変える為の政策、即ち、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする国際化管理政策であるとして考えると、多言語専門家の確保が必要不可欠となる。制度制限などにより地方自治体やNPO等の団体では多言語専門家の確保が不可能であり、面倒な事が一切なく、異なる都道府県や区市町村の業務委託を受け付けることが出来るのは、民営会社だけである。従って、日本における多文化共生の実現を目的とした事業を民営化されるべきと言える。

日本における多文化共生事業の本当の対象者

 結論からいうと、日本における多文化共生各種事業の本当の対象者は、日本人の皆様である。

 現代、インターネットというツールの普及が進み、地球規模化している。地球規模化といえば、グローバル化です。また、文明の進化に伴ってスマートフォンも進化しており、持ち運びが気軽に出来る世界へのゲートと言っても過言ではない。こうした現状などを理由に日本人の皆様が避けようとしても、グローバル化が進むのであるし、国際化も進むのである。

 何故ならグローバル化とは、文明の進化に伴って、もうはや止める事の出来ない現象である。世界各国の間で「人・情報・技術・製品・文化・言語・等々」が行き来する或いは、行き来出来る状況が整っている事であり、国際化とは、グローバル化が進んだ事により引き起こされる結果全てである。尚、引き起こされる結果の種類は、2種類に限る。好影響であるか、悪影響であるか。止められない現象であるグローバル化が進んだ事による結果である為、国際化もまた止められない現象であるからだ。

 例えば、とある市のとある住宅に住む日本人家族が居たとしよう。その家族の全員がグローバル化の影響を全く受けずにいられる事が可能なのでしょうか?さらに、その家族全員がグローバル化や国際化に反対しているとしよう。グローバル化や国際化の推進を阻止する事が可能なのでしょうか?現実的に考えれば、不可能である事が分かるはずです。グローバル化は、日本人の皆様の興味、意見、賛成であるか否か、準備が出来ているか否か、その他などと無関係に進んでいる。進み続けるグローバル化が引き起こす様々な影響、国際化もまた、日本人の皆様の興味、意見、賛成であるか否か、準備が出来ているか否か、その他などと無関係に進む事になる。もちろん、悪い影響だけではない。好影響もあれば、悪影響もある。だけど、日本人の皆様の興味、意見、賛成であるか否か、準備が出来ているか否か、その他などと無関係にその両方の影響の「可能性」、即ち、リスクにさらされる事になる。

 そこで日本における多文化共生とは、グローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を好影響として保ち、悪影響を好影響に変える為の計画、即ち、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする国際化管理政策である。

 グローバル化や国際化に賛成の日本人の皆様としては、それらの現象が齎す好影響の必要性を理解しているが悪影響を受けたくないはずです。逆に反対の日本人の皆様としては、それらの現象が齎す好影響の必要性を認めない又は好影響として認識しないかつ悪影響を受けたくないけれど、止められない現象である上、反対しつつも影響を受け続けるしかない。

 だから、賛成の方も反対の方も、意見が同じであるところは、悪影響を受けたくない部分と言える。

 ここで、グローバル化や国際化に賛成の方が日本における多文化共生が実現する為の国際化管理政策を考えようとしないのは、何故だ?

 また、グローバル化や国際化に反対の方が日本における多文化共生が実現する為の国際化管理政策を考えようとしないのは、何故だ?

 それは、危機感が足りないからである。ニーズとして認識しなければ、ウォンツが起きない。(ニーズ:必要性 / ウォンツ:欲求)つまり、危機感がないからリスクマネジメントに無関心でいられ、望まぬ悪影響というリスクにさらされている。

危機感の無さが作り出す危険性

 前述のように、グローバル化とは、文明の進化に伴って、もうはや止める事の出来ない現象である。世界各国の間で「人・情報・技術・製品・文化・言語・等々」が行き来する或いは、行き来出来る状況が整っている事である。つまり、皆様が何もしなかったとしても進み続ける自分勝手な現象なのである。

 国際化とは、グローバル化が進んだ事により引き起こされる結果全てである。尚、引き起こされる結果の種類は、2種類に限る。好影響であるか、悪影響であるか。止められない現象であるグローバル化が進んだ事による結果である為、国際化もまた止められない現象である。つまり、皆様が何もしなかったとしても進み続ける自分勝手な現象であるグローバル化が引き起こす結果全てを、何もしなければ好んでも好まなくても受け続けるしかないのである。

 しかし、不思議なことに本来であれば、日本人が誰よりも日常の経験から危機感を持つべきである。日本で起きる止められない現象の代表的なものは、地震である。言うまでもないと思われるが、地震を阻止する事が出来ない。また、被害しか齎さない地震が好きな人は、いないと言える。ところが、「地震反対!」と書かれた看板を持ったデモが見られないですよね。災害対策で地震対策を様々な地方自治体で行われているが、地震に備える内容であり、地震を起こさせない為のものではない。さらに、日本人の中に「地震は止められる!」と思う人がおらず、「ここは大丈夫!」と甘く考え、備えを疎かにする人は一応いるが日本人の大半が地震に備えていると言える。即ち、日本人は、地震の恐ろしさを理解し、危機感を持って、リスクマネジメントをしっかり行っている。

 だから日本人は、グローバル化の恐ろしさを理解しておらず、危機感が足りないと言える。外国人は、グローバル化や国際化の一部分であり、対象者ではない。

 こうした現実を背景に日本人が日本における多文化共生の本当の対象者であり、日本における多文化共生を目的とした国際化管理政策でグローバル化が引き起こす結果をコントロールし、対象者である日本人を支援し、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を優先する必要がある。

日本における多文化共生を実現する必要性を作り出す必要性

 日本人は長い間、広範囲に被害を齎す災害、津波、地震、土砂崩れ、などに備えている。様々な要因で災厄のシナリオを阻止出来ず、沢山のケガ人や死者が出てしまう事もある。その一つは、思い込みによる判断ミス、言い換えれば状況を甘く見てしまう危機感の無さなどがある。

 例えば、土砂崩れの危険性が大いにある地域があるとしよう。しかし、その地域では、これまで土砂崩れによる大きな被害がなく、危ないと警告をしても真面目に聞いてくれず、誰も対応してくれない。危険な状況であると感じているのは専門家で、地方自治体が危険性を認めれば地方自治体としてのニーズがあると言える。ところが土砂崩れの危険性が高い地域の住民にとっては、危機感が無い為ニーズがあるとは言えない。そこで、その地域の住民が災害に備えていただく為、必要性を感じていないが必要性を作り出す必要がある。必要性を認めればその地域の住民にもニーズがあると言える。

 日本における多文化共生の現状は、上記の例え以前、必要性の最初の段階であり、日本における多文化共生の実現の必要性を専門家が理解しているのみで、地方自治体がまだ必要性を認めていない状態。当然ですが、日本人の皆様も必要性を認めていないのだからである。

 日本人は、日本における多文化共生に無関心過ぎて、危機感が無い。それもそのはず、そもそも日本人は、日本における多文化共生とは何かを理解していない。それを教えるべき地方自治体もまた多文化共生とは何かを理解してない。そして人は、理解しないものを必要と思う方が不自然である。

 ニーズとは必要性という意味ですが、ニーズがないイコール必要性がない訳ではない。さらなる悪影響を生み出さない為にも外国語を日本語に組み込む場合は、細心の注意が必要である事をお忘れなく。

 

日本における多文化共生社会実現計画の要約

第一段階: 

多文化共生に関する対象の地方自治体全職員に対する育成。

・対象の地方自治体の各課・係と個別に実現可能な多文化共生社会とはどんな社会なのか、多文化共生の実現を目的とした政策がない中でのグローバル化・国際化が齎すリスクの理解とそれを理解する事に伴う多文化共生の実現を目的とした政策の必要性を理解する為の研修会等の実施し、政策づくりの必要性の理解を深める。

第二段階:

対象の地方自治体の各課・係の多文化共生化計画づくり支援。

・対象の地方自治体の各課・係と個別にグローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を好影響として保ち、悪影響を好影響に変える為の政策作りを支援し、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする国際化管理政策研究会等の実施し、政策づくりの為の支援を行う。

第三段階:

対象の地方自治体の各課・係の多文化共生社会実現政策維持支援。

・対象の地方自治体の各課・係が多文化共生について抱える課題の改善を支援し、起こりうる問題の予防計画を支援。

第四段階:

多文化共生に関する対象の地方自治体の各自治会全構成員に対する育成。

対象の地方自治体の各自治会に実現可能な多文化共生社会とはどんな社会なのか、多文化共生の実現を目的とした政策がない中でのグローバル化・国際化が齎すリスクの理解とそれを理解する事に伴う多文化共生の実現を目的とした事業の必要性を理解する為の研修会等の実施し、事業づくりの必要性の理解を深める。

第五段階:

対象の地方自治体の各自治会の多文化共生化計画づくり支援。

・対象の地方自治体の各自治会と個別にグローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を好影響として保ち、悪影響を好影響に変える為の計画作りを支援し、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする国際化管理計画研究会等の実施し、多文化共生の実現を目的とした事業づくりの為の支援を行う。

第六段階:

対象の地方自治体の各自治会の多文化共生社会実現事業維持支援。

・対象の地方自治体の各自治会が多文化共生について抱える課題の改善を支援し、起こりうる問題の予防計画を支援。

※外国籍住民を対象とした支援を原則として多文化共生社会実現事業として行わない。各都道府県の各区市町村の必要性に応じて外国籍住民支援事業として行う。

※外国籍住民が各都道府県の各区市町村が外国籍住民支援事業の実施の必要性を認めない場合に任意で支援を求める場合において、サービスの依頼を受け付けるシステムを確立に努める。

 

最終段階:

対象の地方自治体へ多文化共生社会実現に必要な法律等の提案。

・対象の地方自治体が法律の改正の提案を受付し、関係機関へ提案する。

「法律改正提案例:外国籍住民への支援予算確保の為、外国人税の導入。」

「法律改正提案例:地方自治体から特定の外国籍住民の公的義務不履行の通報制度の導入。」

bottom of page