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外国人が「罠」にはめられたのかも

株式会社 PUTZ Network プツ・ネットワーク
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近年、日本では外国人の在留に関する基準が、少しずつ、しかし確実に厳格化されている。とりわけ重視されているのが「経済的安定性」であり、一定の収入、生活の自立性、そして将来の見通しを持っていることが求められている。この考え方自体は、一見すると合理的であり、どの国にとっても理解できるものだろう。生活が成り立たない可能性のある人に対して、永住や長期滞在を認めることに慎重になるのは当然とも言える。しかし、この「正しさ」は、現実と照らし合わせたとき、次第にほころびを見せ始める。問題は、安定が必要かどうかではない。今の日本の仕組みの中で、その安定は本当に実現可能なのかという点にある。


この矛盾を理解するためには、2000年代初頭にまで遡る必要がある。当時の日本は、決して理想的な労働環境とは言えなかったものの、少なくとも外国人労働者にとっては非常に「機能している」社会だった。製造業を中心に、外国人労働者の需要は高く、日本人と外国人の役割は暗黙のうちに分かれていた。日本人は徐々に過労や健康問題に配慮されるようになっていく一方で、外国人は生産現場を支える存在として、長時間労働を前提とした働き方を担っていた。週7日働くことも当時は珍しくなく、1日12時間、14時間といった労働も日常的に存在していた。それは「異常」ではなく、むしろ当たり前のものとして受け入れられていたのである。さらに、お盆やゴールデンウィークといった連休でさえ、休むことなく働き続ける人も多く、部署を変え、仕事を探し続け、とにかく収入を維持することが優先されていた。それは単なる過酷な労働ではなく、日本人のような月給制ではなく時給制で働く外国人にとっては、「収入を安定させる手段」そのものだった。


そして、この仕組みを成立させていた最大の要因は、生活コストの低さにあった。当時は、努力すればその分だけ生活が良くなるという実感があった。ガソリンは1リットルあたり約120円、米は10キロで2,000円から2,500円程度、携帯電話も新品で3万円から4万5千円ほどで購入できた。炊飯器も一般的なものであれば1万円前後、高性能なものであっても3万円程度で手に入った。乾燥機付き洗濯機も10万円以下で見つけることができ、オーブン機能付きの電子レンジも3万〜4万円程度、エアコンも2万〜3万円ほどで購入可能だった。新車も200万円から250万円ほどで手に入る時代だった。つまり、仕事は確かにきつかったが、その分、見返りははっきりしていた。外国人労働者は、正社員という形の安定に頼らずとも、自らの労働量によって現実的な安定を築くことができていたのである。


しかし、この構造は2008年のリーマン・ショックを境に大きく変化する。この金融危機は単なる一時的な不況ではなく、日本経済の構造そのものを揺るがす転換点となった。仕事は減り、賃金は下がり、それまで維持されていた安定性は急速に失われていった。時給1,250円で働いていた人が、1,000円以下の仕事を受け入れざるを得なくなる状況も珍しくなかった。そして重要なのは、この落ち込みが完全に回復することはなかったという点である。日本経済はその後も長期的な停滞状態に入り、かつてのような予測可能な安定は戻っていない。


さらに問題なのは、その後も安定が訪れることなく、むしろ次々と新たな危機が重なっていったことである。2011年の東日本大震災による甚大な被害、産業構造の変化、そして近年の新型コロナウイルスによる経済活動の停滞。これらすべてが、雇用の不安定化と収入の減少を加速させてきた。そして現在もなお、不安定要因は続いている。中東情勢の緊張に伴い、石油輸送の要所であるホルムズ海峡を巡るリスクが高まり、供給への不安が現実のものとなりつつある。これにより、プラスチックをはじめとする石油由来製品のコスト上昇が発生し、日常生活におけるあらゆる価格に影響を及ぼし始めている。つまり、現在この瞬間においても、労働者個人の努力ではどうにもならない外部要因によって、生活は圧迫され続けているのである。


その一方で、日本国内の制度も変化している。「働き方改革」によって、残業時間には明確な上限が設けられ、月45時間、年360時間程度に制限されるようになった。これは労働者保護の観点から見れば当然の流れではあるが、外国人労働者にとっては、それまで収入を支えていた仕組みそのものが失われたことを意味する。しかし、その代わりとなる安定的な雇用が提供されたわけではない。むしろ、派遣労働の増加や非正規雇用の拡大により、多くの外国人は不安定な立場に置かれ続けている。結果として、収入を補うために複数の仕事を掛け持ちしなければならない状況が生まれ、労働時間そのものは減っていないにもかかわらず、収入効率はむしろ悪化している。


さらに、この問題をより複雑にしているのが、非正規雇用の是正を目的として導入された、いわゆる「5年ルール」や「3年ルール」といった制度である。本来これらは、有期雇用の長期化や不安定な働き方を改善するためのものであり、一定期間を超えて働いた労働者に対して、無期雇用への転換の道を開くことを目的としていた。また、派遣労働においても、同一の派遣先で働き続けられる期間に制限を設けることで、無制限な使い捨てを防ぐ意図があったとされている。しかし、現場の実態を見ると、その効果は極めて限定的であり、特に外国人労働者にとっては、構造そのものはほとんど変わっていないと言わざるを得ない。


実際、多くの外国人は現在でも派遣会社を通じて雇用されている。かつては1年契約、あるいは1ヶ月単位といった短期契約が繰り返し更新され、都合が悪くなれば更新されないという形で、事実上、理由を示すことなく契約が打ち切られることも珍しくなかった。この点については、現在では無期雇用という形が増えつつあり、表面的には改善が見られるようにも見える。しかし、実態としての運用は大きく変わっていない。派遣先が「仕事がない」と判断すれば契約は終了し、その判断の根拠が労働者に対して明確に示されることはほとんどない。契約関係はあくまで派遣会社と派遣先企業の間にあり、現場で働く労働者自身がそこに直接関与することはできないためである。


無期雇用となったことで、確かに一点だけ変化はある。それは、派遣会社が次の仕事をすぐに用意できない場合、休業補償を支払う義務が発生するという点である。これは制度として見れば前進であり、一定の保護にはなっている。しかし、現実の運用では、この仕組みも十分に機能しているとは言い難い。なぜなら、派遣会社は補償を避けるために、とにかく何らかの仕事を提示するからである。それがたとえ、以前よりも大幅に低い賃金であったり、通勤が極端に不便な場所であったり、あるいは労働環境が著しく劣るものであったとしても、提示される以上、労働者は選択を迫られる。受け入れれば条件は悪化し、断れば「本人都合」として扱われ、結果的に雇用を維持できなくなる可能性が高まる。


本来であれば、5年という期間を経た労働者が、より安定した立場へと移行できるような仕組みが期待されていたはずである。例えば、一定期間同じ職場で働き続けた場合、派遣先企業が直接雇用、すなわち正社員として受け入れる道が制度的に強化されていれば、状況は大きく変わっていたかもしれない。もちろん、企業側がその前に契約を打ち切るリスクは残る。しかし、長期的に見れば、業務を理解した人材を継続して活用する方が合理的である以上、能力のある労働者にとっては、正社員化への現実的な道筋となり得たはずである。


しかし実際には、そのような構造的な橋渡しは十分に設計されなかった。結果として、制度は存在していても、外国人労働者が安定した収入と地位を得るための現実的なルートにはなっていない。多くの労働者にとっての目標である「正社員になる」という道は、依然として遠く、不確実なままである。そしてこの点においても、日本の制度は、安定を求めながら、その安定に到達するための仕組みを十分に提供しているとは言い難いのである。


この現実を数字で見ると、その厳しさはより明確になる。比較的恵まれた条件であっても、年収はおよそ295万円程度にとどまり、実際には230万円から270万円程度に収まるケースが多い。その一方で、生活コストは大きく上昇している。米は7,000円から8,000円にまで上がり、ガソリンも現在は1リットルあたり約160円前後で推移しているが、これは政府の補助金によって抑えられている価格であり、補助がなければ200円を超える可能性もある。炊飯器は10万円を超えるものが一般的になり、洗濯乾燥機は20万円以上、オーブンレンジも8万〜10万円、エアコンも7万〜20万円といった水準にまで上昇している。新車も現在では400万円を超えるケースが珍しくない。しかも、単純な値上げだけではなく、内容量を減らして価格を維持する、いわゆる「実質値上げ」も広く見られるようになっており、気づかないうちに生活は確実に圧迫されている。


そして、このような状況の中で、さらに新たな負担が現実のものになりつつある。それが、在留資格に関する各種手数料の大幅な引き上げである。現時点ではまだ最終決定には至っていないものの、すでに制度改正の方向性は示されており、具体的な金額についても、専門家の間や各種報道を通じて、ある程度の水準が議論されている。


現在、在留資格の更新はおおよそ数千円、一般的には6,000円程度で済むが、今後はこれが3万円から4万円程度にまで引き上げられる可能性があるとされている。さらに、在留期間ごとに段階的な引き上げが行われるとの見方もあり、例えば短期の在留資格であれば1万円前後、1年ビザであれば3万〜4万円、日系人を含め多くの外国人にとって最も一般的な3年ビザでは6万円前後、そして永住権取得の前提となる5年ビザでは7万円程度になる可能性も指摘されている。そして最も大きな変化として、永住許可に関しては、現在の1万円から、20万円前後、場合によってはそれ以上の水準にまで引き上げられる可能性があると見られている。


この問題の本質は、単なる値上げではない。これらの費用は個人単位ではなく、家族単位で発生するという点にある。例えば、6人家族の場合を考えてみると、その負担の大きさは一目瞭然である。仮に全員が3年ビザで更新するとした場合、1人あたり約6万円とすれば、合計で36万円になる。現在であれば、6人分でも3万6千円程度で済んでいたものが、一気に10倍近い水準に跳ね上がる計算になる。もしこれが5年ビザであれば、7万円×6人で42万円、さらに将来的に永住申請を行う場合には、仮に20万円とすれば、1回の申請で120万円という負担が発生する可能性すらある。


そして見落としてはならないのは、多くの外国人家庭において、実際に収入を支えているのは1人、あるいは多くても2人に限られているという現実である。残りは子どもや扶養家族であり、収入を生まない存在であるにもかかわらず、同じだけの費用が発生する。つまり、負担は均等に見えて、その実態は極めて偏っており、最も余裕のない部分に集中する構造になっている。


しかも、これらの議論が進んでいるのは、生活コストの上昇、実質賃金の停滞、そして雇用の不安定化が続いているまさにその最中である。収入を増やす手段が制限され、支出だけが増えていく状況の中で、さらに制度的な負担が積み上げられていく。この構造を前にして、「安定した生活を求める」という要求だけが強化されているとすれば、それは果たして現実に即したものと言えるのだろうか。


ここまで見てくると、矛盾は明確になる。収入は構造的に制限され、生活コストは上昇し続け、外部要因による不安定さは増し、さらに制度的な負担も増えている。その中でなお、「安定」を求められる。外国人労働者は、経済をコントロールする立場にはなく、危機を防ぐ力もなく、制度を決めることもできない。それにもかかわらず、その結果だけをもって評価されるのである。


さらに、この状況をより複雑にしているのは、外国人が置かれている立場そのものにある。現在、日本における外国人の割合はおよそ2%前後とされ、増加傾向にはあるものの、それでも全体の中では依然として少数派である。そして重要なのは、その多くが政治的な意思決定に直接関与する手段、すなわち選挙権を持たないという点である。つまり、自らの置かれている状況に対して、制度的に影響を与える手段が極めて限られている。


加えて、言語の問題も無視できない。外国人の日本語能力については様々な議論があるものの、「十分ではない」という前提で語られることが少なくない。しかし、その実態について体系的な検証が十分に示されているとは言い難いまま、言語能力を基準とした評価や議論が先行している側面もある。結果として、意見を発信する力そのものが弱いと見なされやすく、仮に不満や問題意識を持っていたとしても、それが社会的な声として可視化されにくい構造が生まれている。


これらを整理すれば、外国人は、数量的には少数であり、制度的には意思決定に関与できず、言語的にも発信力が限定されやすい立場に置かれていると言える。そしてその上で、近年では抗議や表現の在り方に関する規制についても議論が進んでおり、象徴や公共的な価値に対する扱いを巡って、より厳格な対応が求められる可能性も指摘されている。もちろん、象徴や文化が尊重されるべきであるという考え方自体は理解できるが、同時に、それが結果として意見表明の余地をさらに狭める方向に働くのであれば、その影響については慎重に考える必要があるだろう。


そしてもう一つ見逃せないのは、「合わないのであれば去るべきだ」という言説が、一定の現実感を持って語られる場面が増えていることである。それ自体は一つの考え方ではあるが、それが前提となったとき、国内に留まりながら状況の改善を求める声は、どのように扱われるのかという問題が残る。意見を持つことと、そこに居続けることが両立しにくい構造になっているとすれば、それは単なる個人の選択の問題ではなく、社会の受け止め方の問題として考える必要があるのではないだろうか。


つまり、「数が少ないから声は聞かない。選挙権がないから気にする必要もない。日本語ができないから理解もしない。そして、もし理解して不満を表現するのであれば、それは受け入れない。嫌なら出ていけばいい。」そう言われているのと変わらない状況なのである。


意図的に仕組まれた「罠」とまでは言えないかもしれない。しかし、条件が整わない中で要求だけが引き上げられ、負担が増え続ける状況は、結果としてそれに近い構造を生み出している。かつては努力によって現実的な安定にたどり着くことができた仕組みが、今ではその安定を前提として要求する側に変わっている。


だからこそ、この違和感は消えない。振り返ってみれば、外国人労働者は、日本が必要としていた時期に受け入れられ、支えとして機能してきた存在でもある。しかし現在、その同じ人たちが、もはや成立しなくなった条件を基準に評価されているとすれば、それは果たして公平と言えるのだろうか。


もしかすると、誰も意図していなかったのかもしれない。それでも、現実として見たとき、この状況はあまりにも一方的であり、そしてあまりにも厳しい。そう感じたとき、「罠にはめられたのかもしれない」という言葉が、単なる比喩ではなく、現実そのものに近いものとして響いてくる。


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